「ウォッカ屋」物語


「ウォッカ屋」物語<その9>

 夏になったら湘南の海へ遊びに行くようになった。葉山には会社の保養所があったのだ。
「コーンズ」の若くて綺麗な女の子を4〜5人誘って、夜遅くまで海辺のパーティ・・・
その頃は美空ひばりの「真っ赤な太陽」が流行っていてダンスも大流行サ?!
昼はヨット、夜はパーティと土日の休みは瞬く間に過ぎていった。
仕事はよくやったが、そんな生活が長く続くはずもなく、とうとうある日会社で倒れてしまった。
即入院である。過労から倒れて絶対安静の入院生活が始まった。
来る日も来る日も病室の中で、退屈極まりない病院生活であったが、ただひとつ若い可愛いナースと仲良くなったのが退院出来るきっかけになったのである?病は薬より、気から治癒することをこの時知った。まもなく退院をして会社へ戻ったが、相変わらずハードな仕事が待っていたのだった。まあ、入院の間もきっちり給料は支給されたし、頑張らなくてはと思ったのも事実である。何ヶ月かたったある日社長(英国人でブルックスさんと言った)に呼ばれて社長室へ行ったら彼がおもむろに話をしだした・・・「給料を上げるから社命だと思って聞くように」
突然の話に驚いた!ニューヨークはマジソンアベニューの本社へ出向き、ディレクターコースに配属、勉強して来るように・・・というお達しである。そのかわりトラベリング・ディレクターとしての地位と給料を支払うと言うのだ。トラベリング・ディレクターと言うのは各国にある支店の制作ディビジョンを渡り歩くクリエイティブ・ディレクターの事で我が支店にも一人英国から来ていた。
スティーブ・マックインに似た面白いディレクターであった。ある時彼に給料の事を聞いたらはるか日本円で100万は超えていた!それでも「年中世界のあちこちに派遣され、家族になかなか会えない」辛さを話した。「やはり好きでないとこの仕事は出来ない」とも言った。
さあ、それからと言うもの準備に追われる忙しい日々が続いたが・・・・