「ウォッカ屋」物語


「ウォッカ屋」物語<その8>

 いろいろな意味で冒険が待ち受けていたのであったが、その前に・・・

 給料のお陰で懐も暖かくなり、食べたり、飲んだりの生活が始まったが、この頃から仕事の忙しさもあったが、朝は早く、遅刻はうるさく言われるしワンルームマンションを借りることを決断し、一時原宿セントラルアパートの1室を借りて住んだ。
そこには芸術家や写真家、イラストレーターなどアーティストの人々が多く暮らしていてみんなともすぐ仲良くなったが、後にみなさん著名な売れっ子作家になって行った・・・
そうこうしている内にある有利な事情で四谷三丁目、曙橋近くのワンルームマンションに越した。そこは当時でも珍しく、靴のまま生活できる西洋タイプのルームでベッドとクローゼットが備え付けであった。トイレも洋式でバスルームと一緒になっていた。
ここで暫くの間別宅?として活用するのである。
さて、これで夜遅くても、朝早くても大丈夫ってことで・・・若くして制作室長になった自分は進んで仕事に取り組んだ毎日であった。そのうち何社かのクライアントを担当する事になって行くのだが京橋丸善のビルにあった英国の商社「コーンズ アンド カンパニー」の仕事は面白くもあり、勉強にもなった。それはロールスロイスの広告宣伝であり、アストンマーティンの広告宣伝であり、ジョンソン アンド ジョンソン、ヨーロッパ トヨタ、SASなどの広告宣伝デザインなどのアートディレクションであった。当時第三京浜などをロールスやアストンで走ったことも良い思い出でもある。当時アストンは007で有名になり、新車DB6を担当した。
また、SASの機上に掲示するフライト地図のイラストレーションなども描いて世界を飛び回ったのであった。2〜3年は忙しくて瞬く間に過ぎていった。3年目には社内的にも社員が増員され制作室にもデザイナー・コピーライター・アシスタントなど数名が採用され、自分の役割にも随分時間が取れるようになったのだが・・・・